中国書道 原拓本



耀県碑林



・耀県碑林は、清代末期に土石流が薬王山の麓の町を襲った際、土砂に混ざって多くの碑石が発見され、それらを纏めて保管したことが由来とされている。その後、近隣からも様々な碑石が集められ、耀県碑林と名付けられた。

・耀県碑林のある薬王山(陝西省耀県)には、北魏最古の魏文朗造像碑のほか、「仇臣生三寶造像碑」、「姚伯多造像碑」、「張僧妙造像碑」など歴代の名碑、造像碑、摩崖造像碑等二百余りの碑石があり、いずれも各分野における重要な資料として高く評価されている。いずれも朴訥とした書風のものばかりで、ほぼ同年代に作成された龍門石窟の造像記と比較しても書体が大きく異なる。当時の都、洛陽近郊の龍門と、遠く離れた耀県では、文化の伝播にもかなりタイムラグがあったと思われる。当時のニューファッションな書体(龍門石窟)とオールドスタイルな書体(耀県碑林)の違いといったところか。

・碑林の目玉は、正面奥にある陳列室であり、そこには、魏文朗造像碑、姚伯多造像碑、仇臣生三寶造像碑など価値の高い碑が所狭しと鎮座している。以前は、碑が並んでいる場所に自由に入って近くでみることができたが、現在は、柵が設けられ碑に近付くことができなくなったほか、木枠のガラスケースで保護されたため、二列目より後ろにある碑はみることさえできなくなってしまった(碑と碑の間隔が狭いため、木枠のガラスケースが邪魔をして後ろの碑が全く見えない状態)。後ろ側にある仇臣生三寶造像碑などを見ることができる機会はないのだろうか。碑の保護も大切であるが、どうにかして改善してもらいたいものである。

・なお、耀県碑林は、都市部にある西安碑林(碑林博物館)と違い、田舎にあるため交通の便が悪く、また、旅行社のツアー等にも入っていないため、一般の日本人が訪れるのはなかなか難しい。西安からは、地下鉄で長距離バスターミナルに行き、バスで耀県まで移動し、三輪タクシーなどで薬王山の入口まで行くとよい。















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