唐代の前後で異なる拓本の価値




中国人と話していると、歴史の「物差し」が日本人と随分異なることに気付きます。一般的な中国人がイメージする「昔」は、どうやら「唐以前」のことのようです。書道を嗜んでいる方であれば、「唐より後の書は習うべからず」とか、「習うのであれば顔真卿(中唐)までにしておくように」といった言葉を聞いたことがあると思います。要は、「時代が下った書は、習う価値がない」ということであり、「時代が下る、下らない」の境目は、“唐代”にあると考えられています。

 こうした認識は拓本の世界でも同じです。いろいろと拓本を取り扱っていて感じるのは、宋(北宋)以降の拓本は、唐以前の拓本に比べ、「価値」という意味において、大きな段差があるということです。北宋と言えば、日本でいう平安時代です(藤原道長が摂政に就任した1016年頃)。日本人の感覚からすれば、宋の拓本でも十分に歴史的価値があるような気がするのですが、中国人にとっては、そうではないようです。

 ここでは、中国人と日本人の、時代に対する認識の違いの背景を分析してみたいと思います。まずは、下に掲載している「中国と日本の時代年表」をご覧ください。


中国と日本の時代年表



 中国の歴史は、夏王朝が成立したとされるB.C.2070年頃(つまり4000年前)まで遡ります(夏は伝説上の王朝とされていますが、近年、その存在を裏付ける遺跡が発掘されています。また、「中国4000年の歴史」と呼ばれるとおり、夏王朝を起点に中国の歴史を捉える考え方が広く浸透しています)。そのため、上記の表では、「夏」以降の時代の変遷を記しており、その横に、それに対応する日本の時代を併記しています。

 これを見れば一目瞭然ですが、中国の有史の中間地点は「漢代」であるということが分かります。中国の漢の時代は、まだ日本ではまだ「有史」以前のことです(倭奴国王が漢の皇帝から金印をもらったとされている時代であり、それ以上の情報が存在しない)。日本の歴史をある程度の精度で遡れるのは、古墳時代の後期あたりからです。そういう意味では、日本の「有史」はせいぜい1500年くらいと言えます。つまり、日本人の持っている時代の物差しは、中国4000年の歴史の4割弱しかないことになります。これが、中国人と日本人の時代に関する認識の根本的な差ではないでしょうか。


 次に、中国人が、“唐代”を、歴史の「古い」・「新しい」の境目と認識していることについて、やや掘り下げて考えてみたいと思います。

 上の年表の右側をご覧ください。右から三列目は、「現在(≒西暦2000年)を基準にして、その年が何年前か」を示す数字です。右から二列目は、”その年数が中国の有史「4000年」を分母とした場合にどの程度の割合となるか”を示しています。一番右の列は、同じく”その年数が日本の有史「1500年」を分母とした場合にどの程度の割合となるか”を示しています。

 これらの数字をみると、歴史の「古い」「新しい」の境目として中国で認識されている“唐代”は、今から1200年くらい前の時代ですので、中国の歴史である4000年=100とすると、30程度に相当します。日本の歴史である1500年=100とした場合、30程度に相当する時代は安土桃山時代(戦国時代)になります。つまり、中国人の「唐」に相当する時代は、日本でいうと「安土桃山時代」ということになります。

 日本人が、安土桃山時代は「古く」て、江戸時代以降は「新しい」(時代が下る)、と考えているかは定かではありませんが、安土桃山時代までを「中世」、江戸時代以降を「近世」と定義していることを踏まえても、大きく外した認識ではないように思われます。「関ケ原の戦い(1600年)以前に築かれた現存するお城は国宝で、それ以降のお城は国宝でない」、という線引きも、そうした認識の補強材料の1つでしょう。


 話がやや逸れた感もありますが、結論を纏めると、日本人が安土桃山時代以前のものを「古い」(=「歴史的な価値」が高い)と感じるのと似たような感覚で、中国人は唐以前のものに対して「歴史的な価値」を見出す、ということです。拓本の価値が唐以前のものと宋以降のものでは全く異なるというのも、こうした中国人の認識が背景にあると言えます。




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