唐代@


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唐代@





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温彦博碑(歐陽詢






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・歐陽詢が80歳の時の書(637年)。虞恭公碑(ぐきょうこうひ)ともいう。昭陵陪冢碑(しょうりょうばいちょうひ)の一つで、昭陵碑林に現存。撰者は岑文本。全36行、各行77字。ただし、碑面は古くから下部の大半の文字が侵されて滅している。宋拓も上半1行あたり20数字にとどまる。上記は近拓であるが、判別可能な文字は宋拓と大きく変わらない。


昭陵は陝西省西安市の西北方、醴泉県にある太宗の陵墓。昭陵の麓に昭陵碑林があり、その中に温彦博碑がある。昭陵碑林を巡る観光ツアーはなく、公共交通機関もないため、余程の書道愛好家でないかぎり訪れる人はいない。2009年9月に初めてここを訪れた際は、工事中で碑林の中には入れない状態であった(現在は入館可能)が、昭陵博物館の主任の特別な計らいで中を案内してもらった。なお、2013年11月にも昭陵碑林を訪問したが、その際は既に工事は終わっており、新しくなった建物の中にある諸碑をじっくり鑑賞することができた。房玄齢碑などもこの碑林にある。保存状態の良い西安碑林にある碑と違い、全般的に磨耗した碑が多い。





皇甫誕碑(歐陽詢書)



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九成宮醴泉銘(歐陽詢)





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大唐三蔵大遍覚法師塔銘







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開成石経<尚書第2巻>



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・「開成石経」は、石に刻まれた古代思想が最も豊富で、最良の状態で保存されており、貴重な歴史的価値のある資料である。その主な内容は古代中国の政治、経済、軍事、文化、他国との交流史、少数民族国史など。西安碑林博物館の第1展示室には高さ二米余りの開成石経が114基ある。唐の文宗が830年に13種類の儒教経典を7年がかりで楷書で刻ませ、当時の大学生や文士たちに勉強させたものと言われている(要するに当時の教科書)。その中の一つ尚書の字句「地平天成」から「平成」が生れた。日本の元号の「平成」はこれが語源と言われている。






昭仁寺碑(虞世南)


・撰者は朱子奢。筆者は古くから虞世南とされているが真相は定かではない。建碑は貞観4年(630年)。書体は楷書で、全40行、各行84字。碑は高さ2.58m、幅1.05mと大。『等慈寺碑』と同じく、寺は貞観3年、太宗の詔によって戦没者の冥福のために建てられたもので、陝西省長武県城内にある。









興福寺断碑(集王羲之)




・唐の興福寺の僧大雅が王羲之の行書を集字して、開元9年(721年)に建てた碑。碑上半分を失って700余字を残しているため、半截碑ともいう。中国では、「断碑」ではなく「残碑」との表記が一般的。文中、「矣」の字を「呉」と誤っているので、呉文断碑ともいう。西安碑林第2室に現存(争坐位稿の後方、大唐三蔵聖教序の横手にある)。

明の万暦年間に長安城内の草中より発見された。発見時には上半分は欠損した状態であったが、長い間地中に埋まっていたこともあり、保存状態は良好。また、旧拓本と新拓本との間に大きな違いはない。多くの重刻本やレプリカが出回っているが、原拓本を見分けるための最大の目印は、縦横に走った無数の細かなヒビ。


興福寺断碑の碑容


碑面の細かいひび割れ


<重刻>













大唐三蔵聖教序(集王羲之)




・「集字聖教序」とか「集王聖教序」とも呼ぶ。唐の太宗が玄奘三蔵の業績を称えて撰述したもので、これに高宗の序記、玄奘の訳した般若心経を加え、弘福寺の沙門懐仁が、高宗の咸亨3年(672年)12月勅命を奉じ、宮中に多く秘蔵していた王羲之の遺墨の中から必要な文字を集めて碑に刻したもの。字数は約1800字。西安碑林第2室に現存。

大唐三蔵聖教序の碑容


大唐三蔵聖教序の碑面







顔氏家廟碑(顔真卿)




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争坐位稿(唐代) 顔真卿書




・争坐位稿は「論座帖」や「与郭僕射書」ともいい『祭姪文稿』や『祭伯文稿』とならび三稿と称される。顔真卿の56歳の時の書。「稿」とあることからも分かるように最終稿ではなく草稿文。当時宮廷の右僕射(尚書省次官)であった郭英乂が行事における席次を勝手に変えたことに対する抗議の文。


争坐位稿の碑容


→上の画像をご覧になられた方は、「争坐位稿の碑面は横長だったのでは?」と思われるかもしれません。実は、この碑、ある碑(通常の縦長の碑)の裏面に彫られたものなのです。石の再利用でしょうか。ちなみに、争坐位稿の右側に写っている背の低い碑は興福寺断碑です。すっぽりとガラスケースに覆われています。碑林第2室は有名な碑が多く、まさに書道の宝庫と言えます。

<重刻>















多寶塔碑(唐代) 顔真卿書




多寶塔碑の碑面






夫子廟堂碑(顔真卿書)





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玄秘塔碑(柳公権書)







迴元観鐘楼銘(柳公権書)






馮宿神道碑(柳公権書)




・王起撰、柳公権書。1949年に、前陜西省歴博から碑林博物館に移管された。碑のかなり上の方まで、摩滅が激しい。碑面の左上に判別できる字が比較的多い。



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臨壇大戒徳律師之碑















陵聖母帖(唐代)懐素




大秦景教流行中国碑(唐代)






景雲鐘金銘(唐代)





御史台精舎碑(唐代)





三墳記(唐代)<表・裏面>





廣智三蔵和尚碑(唐代)







名称確認中(唐代)



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肚痛帖(唐代) 張旭書





蜜羅経(唐代)



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